『三国志』もあと1話。

ついに孔明も亡くなった第94話。後半で、司馬懿孔明がまだ死んでいるということに確信が持てないまま蜀軍を追いかけて、そして木人形の孔明に惑わされたことにあとで自軍で反省している姿が不覚にもかわいいと思ってしまいました(笑)。

いや、寝台で顔を覆ってゴロゴロしながら「なんてことしちまったんだー、一生の不覚。恥ずかしい」みたいなことを喋っている姿が真面目なシーンなんだけど面白い、

ホント、役者さんが素晴らしいです。

 

92話のレビューコメントで、

>第3部で、水鏡先生が言ったように、『孔明は主君を得たが、時を得ておらぬ‥』という言葉は本当でしょうか? 時は仕方ないとしても、私は、主君も得ていなかった。。と思ってしまいます。劉備もそうだけど、劉禅に仕えるのはかわいそうすぎる。

 …と書いていた方がいて、今回の94話で「主君を得たが、時を得ておらぬ」という台詞を孔明自身が思い出して呟いていたんですよね。そこを聞いていて、個人的に自分もそのコメントの人に同意だなーと思った。同意というか、孔明の台詞に対して「せやろか?」みたいなつっこみを入れたい感じだった。

時は生まれた時と時代・状況は選べないからしょうがないとして、主君は果たして本当に得たのだろうかという。それでも本人が得たと思っていたなら、それでいいのかなあ。

どんなことでも、その人自身と第三者じゃ思っていること、考えていることが違うのは当然ですわな。